こういう文体試してみたよ!

、何かとギクシャクして特に胸中が爛れきりどうにもならなかった日に、自らが情けなく薄ら涙など浮かべてショッピングモールに連結する形で建てられているマンションの階段をわけもなく昇り降りしては途方に暮れていた。このままではどうにも埒があかないと自覚した私は(人を待たせていた)ショッピングモールの3階にある本屋で文庫本を数冊買って気分を高揚させた上で再度待ち合わせをしようと考えた。

 昔から神経質で気のふれ易い性分であるから十八年と云う年月を経れば次第に人付き合いには疎くなる。自分は他者と関係してもすっぱりと別れたことなどなく、大抵は日頃私の放つ暴言や悪態に耐えかねた善良かついけ好かない(出会った当初は自分を非常に尊敬し、愛してくれる友人たちが私のこのような悪態に触れるにつれそれらの感情を失ってゆき、自分もそれについては嫌なほど敏感であるからそのような雰囲気を感じた途端こいつは自分の方が能力が高いのを鼻にかけて私を侮辱しているだとか、とにかくそのようなことを思い呪詛の念が固まってくるのである)者達は次第に連絡すら希薄になり、貧相なプライドを持っている私は自分から連絡するなど夢のまた夢なのでぐずぐずと波がひいていくのをただ眺め続けることしかできない。

 しかしこの日待ち合わせをしていた男は存外丈夫に出来ているのか、人一倍情に厚いのか判らないが半年ほどの付き合いをどうにか保った儘である。と云うのも男女問わず付き合いが続いたのは精々数ヶ月が最長で、短ければ数日で関係が終わる。そんな自分にとっては半年も付き合いが続くと云うのはもはや奇跡じみた出来事であるし、それが男で、しかも二回り程度年上の人間であるから小学生の時分箒で顔を突かれてから男というものを呪い続けてきた自分には想像もできないことであった。であるからこの誠実な男の態度を見、自分もこの邪悪な性分をなんとか改め、でなくとも先ずは食い止めるように努めた。この日は朝早くに二人の家の中間(少々自宅寄りではある)に位置するファミリーマートで待ち合わせをした。幾分早く到着した私は自転車を漕ぎ皮脂の滲む額を化粧が滲まぬよう丁寧にハンカチで拭き取り、その他アクセサリーを整え男の到着を待つ。若干の時間が経ち男と対面し、男の煙草に付き合い、と云っても蒸し暑いのとこの厭な性分が発作を起こさぬよう注意するのとで話半分である。バス停まで移動しぎゅうぎゅうに押し潰されながら駅へ向かう。男の前では微妙に情けなく取り乱し、他人の挙動にも平静が保てないのを疎ましく思っていたが男の方は此方に目をくれることもないのでここの処は胸を撫で下ろした。駅につき家族に頼まれていたケーキを買う。十五時に受け取りにくると約束し金を払った。私の様子を気にして男はケーキを食べようと提案し、ほど近いパスタ屋に入った。この時にははっきりと嫌な予感というものの通りに疲れ切り、パスタ用のフォークで相手の眼球を貫くことすらも億劫に思われた。この男は私のこの性根を誰よりも理解し、同時にそれを誘発する星の下に生まれてきたか分からないが、不思議な引力によってこの恐ろしい状態になるのは決まってこの男の前である。と云っても心を許し合える友人と呼べる人間はこの男しかおらず、その他は本心と欺瞞が錯綜するぎこちないとも云えぬ笑顔に目一杯の嘘を唄うように口走るだけでとても友人といえる域に達しているものは居なかった。その為、この男の前でばかりこのような悪態をつくことは当然であるようにも思えるが、どうも自分とは相容れぬ強引で思い込みの強い節が見え隠れするように思えてならない。俄然それは他者の性分として致し方無い(十八そこそこの柔くグラついた自己を改変するのは易いが四十手前の人間に抜本的な自己改変を求める等甚だ不可能じみていることも解っていた)為、この邪悪さを受容してくれるからにはそのような性分を受け入れるのも普通のことであるが。そして今日も困り顔で男は凶悪な私にいくつかの提案をし、一時的に解散をして気が覚めてきた頃にまた会うということになった。これが冒頭に至るまでの経緯である。

 トイレの鏡の前で、大して崩れていない顔面を見、自分には当然のように関係が崩れ去るという実感がいつも密接に肌を離れずあることをまた考えた。このような自分になってもなおこの男を失うことが怖く、自分にはこの痴態もはやどうにも出来ないのかと思うと一頻り絶望するものである。二年程休日でも連絡し合い遊び歩く友人等居なかった上に、澱みの無い快活な喋り方で話の尽きない善良で純粋な人間でかつ、適度に穢れを持ち気を使わせない人間であったので無論どうにかして繋ぎ止めておきたい相手だ。肉欲的な面に於いても失うと困るのは自分の方であるのは一目瞭然のように思えた。しかしながらこの必死に喰らい付く姿勢が自分には醜く思え、このような醜態を晒し続け日々恥を忍んで唾液と愛液を垂らしながら懇願し、仕方なく受け入れられたりキッパリと断られることが日々の鬱憤になっていくのは明確だった。そのような事を思い、また鼻の下に滲む汗を拭く。

 

 

Dance・Chance・Romance

ベイベー。18歳になっちまった。 

 

午前10時の気持は悪いもんじゃない。朝からドレスアップしたからね。ヌーブラも久しぶりに着けたよ。アンパンマンのグミみたいなシリコンが薄皮に包まれて、ぺとぺとした接着面にえぐい角度をつけ貼りつける。貧相な胸がちぎれそう。

 

あたしのなんかいい感じだった頃(気分だけは)に聴いてた岡村靖幸の声がふわーって届いてきます。ダンスチャンスロマンスは自分次第。そうやって生きてきた自身だけはなんかある。毎日ぐだぐだな生活だけどね。

 

なにがって、大した感慨もないね(笑)。だからこんなに普通なんだと思う今。大人にも子供にもなれず俺なのかぼくなのかあたしなのかも分からず苦しかった時代を越えて適当に生きていきますよ。

 

わたしたちはケーキと乾電池を手にして

、うふふ。お久しぶりです。

 

色々なことが変わってしまいました。あたしは今、なんの憂鬱も抱えず日曜日の23時を過ごしています。大きな犠牲を払って、大切な人たちと協調して生きていく方を選びました。きっとねこんなことしなくたって、そうやって生きていける人の方がいっぱいいるんだと思う

でもそんなあたしだってまああたしで、このあたしでしか、生きていけないし生きていきたくないです。よし。

 

、そういえば昼間暑かったね。

 

本当に気持ちいい季節はあっという間に過ぎちゃうねいつも。心地よい風と、照りつけるほどではない太陽と。刹那は尊い。春の夜の夢の如し。そんなプレイリストを作ったんで一読くださいませ。

汗臭い真夏の情事みたいな曲からサラサラとした質感のシティポップまで、自分のお気に入りから選りすぐった結果、11時間超のものが出来上がった…。統一感はないけれど気分にマッチする曲があれば嬉しく思うし抽象的な感覚を人と共有するのが好きなので、そんな話もしたいですね。

 

、また昼間の話をします

 

久々に外をちゃんと歩いたよ。もう少し「夏、到来」の感覚を研ぎ澄ませて歩けばよかった…

うだるような暑さ(と、今言ってしまってる時点で盛夏が不安でしかない)だったね今日は。ノーパンノーブラでtシャツ一枚で夜風にふかれながら炭酸水飲むしかないよ。

 

、蘭ちゃんの誕生日

 

今年、なんか違うのは誕生日前なのにナーバスが皆無だってことだ。いろんなものを失うから誕生日前って嫌いだった。なんなら生まれてきたくもなかった。今は、生まれてきて嬉しいかって言ったらそんなことはないけどなんとなく生きてて楽しい。こういう感情は初めてだろうな。この数週間、17年の人生で悲しかったことやキツくてどうにもならなかったこと、自分に対する呪いとかを少し精算できたような気がする。2月のあたしは正解が一個しかない気がしていて、他人はすごくシビアで厳しくて、そこから外れたら期待外れのレッテル貼られるんだって思ってた。どんなに好きでもやっぱり怖かったんだと思う。それは嫌われたくないからとかじゃなくて、自分が尊敬してる人間に自分を否定されるのが闇雲にめちゃくちゃ怖かった。そんなんじゃ何を手紙に書いたらいいかなんてわからないよね。ずっと綱渡りしながら言葉をつなげてはデリートを繰り返してた。嘘ばっか並べても何にも思わない相手になら、口先で愛を愚弄して何枚でもラブレターを寄越したもんだけど、それにしちゃああたしは君を愛し過ぎてる。本当に大事なことは言葉にもできないし、目で見ることもできないし、触れられないものだ。こうやって文字を並べても、本当に言いたいことはきっともっとシンプルで純粋な何かだよ。サイゼの注文用紙に落書きした汚い字とか、一緒に食べた酢豚とか、ラブホで食べたアイスクリームとか、星型の折り紙を差し出すちいさな手とかに置いてきた感情たちは、とても言葉にできそうもない。この街に着いたってラインが来た。夜風に運ばれて君の気配がこの部屋を漂っている。

からだでいっぱいの傘

、おはようございます。

 

、先日或る人に連れられて渋谷のライブハウスに行きました。太田上田とかでよく聞いてた場所。

 

、結果よかった。

 

菊地成孔の"1人目の奥さん"が、成孔と2人でサーティワンを食べてる時、突然成孔に女が抱きつき耳元で(アイス買ってぇ……)と言われてるのを見て、なんにも動じなかったというのを聞いて以来、自分は居たのすら確かじゃない"1人目の奥さん"になってしまおうというツモリで生きています

 

、雨とKIRINJI。雨は読書日和。隣に誰も来るなと電車の中で傘を大袈裟に立てかける。

 

、朝。KIRINJI。雨更に降る。

 

 

うどんのことを考えながら寝たのに

・おはようございます。

 

・GW3日目。学校に行きます。全てムカついてというふだんの通学の風景はどこか消え、菊地成孔の曲を聴きながら汚い言葉に身を沈めていく日常に立ち返った様です。昨晩は眠気が訪れるまで課題をやり、「XXL」の菊地パートのリップシンク(不完全な)を編集しました。部屋を紫色の照明に変更して動画を撮ったところ、オーブがヤバいくらい飛び交っていたのでお蔵入りにー。

 

数日経ち。

 

ゴールデンウィーク5日目?まあこんな日もある。long time no fuckだと必ずこうなるんですが、昨夜菊地成孔との夢を見ました。そろそろ私の中の菊地成孔と私との間に愛が生まれ始めています(そう思えるほど、強固なもので繋がれていて離れることがありません)。

 

Twitterフェミニズム系のツイートのリプなんか読んでますとほんとにぐったりして来ますね。Twitterなんかやんない方がいいんだって絶対。間違ってることを間違ってるって知らないまま生きてた方が絶対いいんだよ。とくに射精/受精責任のトピックなんかは本当に。

 

・なんでこういうのに触れない方がいいかと言うと自分が欲望に打ち勝つことが出来ないからです。なにも性欲だけじゃなくて、自己肯定感を勝ち取りたいという欲が。 いつもああいうものを読むと早くそんな世界から解脱したい、とにかくセックスのことなんてひとたびも考えたくない。というメンタルに落ち込み、数時間後にはそんなこと忘れてるので、結局ムダなのです。

 

・何故かとにかく肌が汚くて悲しくなってきます。なんなんだストレスなのか?いやいや。顔がとても痒くて。もうなんかダメかも。母親と弟が咳ばっかりしてて(わたしは咳き込んでる声を聞くのとても苦手、音としてとても苦手です)とても暗い気持ちになってるのです。どんな人も結局私の夢の中にしかいません。母親と弟の咳もいまは夢の中にしかありません。

 

 

あなたより子供な大人は

ゴールデンウィーク初日。ただただ風強し。

 

いっちまったら - song and lyrics by Only Love Hurts | Spotifyなうプレ。面影ラッキーホールをよく聴いていたのは去年秋頃〜冬の初めあたりだったのだけれど最近また少し聴いています。色々経験して「Marry Me」と「あばよ」がどれだけ近くにあるのか。ということもなんとなく分かってきた。

 

・15時半マクドナルド。辛いシャカチキと甘すぎるバニラシェーク。ジャズドミュニスターズの曲なんか聴いてとろけながら冷や汗かいているなう。

 

・もはやこのブログは菊地成孔ありきなんじゃないかと思うくらいですが、菊地さんの「Super Rich Kids」のカバー見事ですよ。これコンサートでやってたかな。やってなかったような。

原曲の歌詞もだいぶ好きで訳詞を読むたびうっとりする。

 

・それで言えば「told me」も菊地さん良かった。Q/N/Nで小倉に行った時、菊地さんがチーマーみたいな若い男の子に「ディスコ容疑者」って書いてあるステッカーを貰ったって話が好きだ。そもそも菊地さんがステッカー好きで、手帳にこだわりの一枚だけを貼る。っていうところがとても良い塩梅。もちろん、菊地さんのマックブックがイケたステッカーだらけでも構わないのだけれど、そうじゃないことにどこか安心する自分がいる。わたしも自分のノートパソコンには白根ゆたんぽのステッカーと、フランクルの「夜と霧」のステッカー(コンビニで印刷したものである)のみを貼り、それ以上増やすことはありません。

 

・またジャズドミュニスターズの話に戻りますが、菊地さんのリリックは若者にウケるような気がするのですが。たしかにラップを歌いながら苦笑しながらふざけてる菊地さんは共感性羞恥とか言われちゃいそうなシロモノだけど、それこそ瞳ちゃんみたいなニンフにエグいもの歌わせるってわりと良くない?だめ?女が男のために。っていう腐った構図じゃないのよ。あくまで私たちがワクワクできるように美しく書き込んでみないかね。早くツイッターを閉じてさ。と言いつつも、菊地さんのツイッターに対するアティチュードは共感できないどころかとても嫌い(笑)。ただそこに流れてる考え方はジャズドミュニスターズのリリックから、「普通の恋」までに全部流れていて、わたしがあくまで正気でいられているのはそこを信仰しないからだと思っています。

 

・ジャズドミュニスターズは本当に聴かず嫌い(「革命」のチープなミュージックビデオに映る菊地さんの顔を見て、もう二度と聴くことはないだろうと思った)だったのですが、意外といけてる。[https://open.spotify.com/track/36ZT6P7Ri2vxi03v3yEASh?とか悪い場所 - song and lyrics by JAZZ DOMMUNISTERS, KAN a.k.a. GAMI | Spotify。キクチくん。心からありがとう。

 

 

2022年11月3日

ティーフロート

‌ ‌14時すぎに渋谷のサロンから出た。この街がクラブゼロでの夜を包囲しているなんてとても思えない。小粋さのない街。天皇陛下の写真にはグラフィティの「FUCK」がレイヤード。

    15時すぎの川崎駅。大きくて汚い駅だ。菊地成孔のためじゃなきゃ一生足を踏み入れないだろう。朝10時に飲んだティーフロートは嗚咽寸前の放蕩に誘い、少し怯んだ私は上にそびえ立つアイスクリームをメープルシロップ入りの紅茶に思い切り溶かし、それを流し込んだ。強烈な嘔吐感に見舞われ、トイレの便座の中へ静かに嘔吐した。朝食を食べなかったせいか、喉がなだらかに焼けていくように痛かった。そういうわけで胃の中が空っぽで何かが突き刺さったような痛みを感じていた私は今すぐ何か胃の中に入れたかった。隣接しているショッピングモールのクアアイナに行く。スマホの充電はごく僅かだ。鞄から三島由紀夫の「美徳のよろめき」を取り出し読んだ。ハンバーガーにかぶりつくときの自分の顔を想像しながら希望を失っていく。


今日の用事は、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのコンサートだった。駅に入った瞬間は少々面食らったものの、なかなかダルい街。嫌いじゃない。と、終演後には思ったのだった(笑)。

今日のハイライトは、間違いなくアンコール一曲目「色悪」中に起きた地震に違いない。

シッティングのもどかしさを感じながら足を踏み鳴らし、身体をよじらせながら陶酔に陥っていく観客たちが、揺れに気づきただひととき現実を意識する。そのコンマ数秒後に死を意識し、そのまたコンマ数秒後には陶酔に溺れたまま死んでしまいたいという妖気を放ちながら舞台に過集中する視線。わたしはというと、隣の席の男性と顔を見合わせ、やべー空気(笑)という感覚を目線だけで共有して、つまりはっきり萎えてしまったのだが、家に帰れば徒な現実が待ち受けているのだからそれは健康的だったろう。肌で「地震はワクワクする」という人達の奇妙な連帯感と高揚感に触れ、靴擦れの痛みも限界を超えていた。病的な長さのブログにコメントを送信し、今日は眠ることにしたいと思う。

 

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文の通り、去年川崎にジャズを聴きに行った時の記録を、加筆修正したものです。色々と楽しいこと、恐ろしいこと、悲しいこと経験したのに、文章の作り方がへたっぴであまりうまくないですね。ぺぺのコンサートはいつになっちゃうんだろうね……。

どうか菊地さんいつまでもお元気で。サックスだけはやめないでくださいね。